園のあゆみ
縁側の託児所から、28年。
ひだまり保育園が、こもれび市ひなた町で保育を始めたのは1998年。最初の園児は5人、先生は2人でした。あれから28年。卒園児は600人を超え、最初のころの園児が、親になってわが子を連れてきてくれるようになりました。
1998
「うちの子も、よその子も、おなじ縁側で」
創立者の向井日和は、当時3人の子を育てる母親でした。「働きに出たいのに、預け先がない」。同じ悩みのお母さんたちが、いつのまにか向井家の縁側に集まるようになり、「それなら、うちでみんなで見ようか」。定員5名の託児所「ひだまり」は、その世間話から始まりました。
看板は手書き、給食は持ち回り。月謝は「払えるときに払える分だけ」という、いま思えばずいぶんな経営でしたが、縁側にはいつも、せんたくものと笑い声がはためいていました。
2007
認可保育所「ひだまり保育園」に。
待機児童が社会問題になり、市から「認可を取りませんか」と声がかかりました。定員は5名から60名へ。職員も一気に増え、はじめて「うちの保育とは何か」を言葉にする必要に迫られました。
難しい言葉を並べかけて、向井は立ち止まったそうです。「結局、縁側でやってきたことと同じじゃないか」。そうして決まった3つの合言葉は、いまも職員室の壁に、当時のままの手書きの紙で貼ってあります。
職員室の壁の、3つの言葉
- あかるく
- できたことを数える。失敗は「発見のもと」と呼ぶ。
- あたたかく
- こどもの後ろにいる家族ごと、まるごと受けとめる。
- おだやかに
- 大声で動かさない。しゃがんで、目を見て、待つ。
2016
新しい園舎と、はじめての畑。
築40年の園舎を建て替え。設計士さんへの注文は「廊下を広く」のひとつだけでした。雨の日に三輪車で走れる廊下は、いまも一番人気の遊び場です。
同じ年、隣の田中さんの畑を一角お借りして、園の畑が始まりました。初年度のトマトは全滅。「水のやりすぎだよ」と田中さんに笑われたところからの再出発でしたが、いまでは夏のきゅうりが食べきれないほど採れます。
2020〜いま
「待つ保育」を、チームで。
手をかけることより、目をかけること。先回りせずにこどもの「できた」を待つ保育は、実はとても根気がいります。だから担任ひとりに抱えさせず、調理員も事務員もふくめた職員全員で、一人のこどもを見る体制にしました。毎夕15分の「きょうの気づき」の共有は、もう5年続いています。
いまの、ひだまりの保育
縁側の託児所から始まった保育は、いまこんなかたちになっています。
てをかけすぎない
待つ保育
靴をはくのに5分かかっても、待ちます。「じぶんでできた」の顔は、待った時間のぶんだけ輝くからです。
ひとりでかかえない
チーム保育
担任だけでなく、調理員も看護師も事務員も、園全体で一人のこどもを見ます。気づきは毎夕15分、全員で持ち寄ります。
じぶんでえらぶ
えらぶ保育
きょうどこで遊ぶか、給食をどれだけよそうか。小さな選択の積み重ねが、自分で決められる人への一歩だと考えています。